卑弥呼の誕生

中国の文献に「倭国大乱」と記された戦乱の時代、日本の小さな国々が、宗教の違いや物資の流通権を巡って戦いに明け暮れていました。国を治める王たちは、戦に疲れてもなかなか刀を収められませんでした。そこで、皆で卑弥呼をおしたてて王とし、男たちには無いマジカルな権威によって、戦乱に終止符を打つことが出来ました。

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安田靫彦卑弥呼」 昭和43年制作  滋賀県立近代美術館



しかし、狗奴国が立ちはだかりました。そこで卑弥呼は、この頃の中国、後漢のあとに並立した三国(魏・呉・蜀)の一つの魏の傘下に入る為の外交をおこないます。

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3世紀のアジア




卑弥呼は247年ごろ亡くなった様ですが、陳寿の書いた倭人伝」には彼女の為に「径百余歩もの墓が築かれた」と記されています。


そうです。その墓が、古墳時代の幕開けを告げる最初の前方後円墳ではないか……と多くの考古学者が考えているのです。




そうそう特に文献が少ない古代日本の歴史は作者の解釈の違いや思いから、それぞれの説が生まれます。なので、ネタにする参考資料は今度から出来るだけ、読んだ著書を書き残す様にしょうと思っています。後で読み返すのに分かり易いのでね~

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参考資料  若狭徹著  「古墳時代ガイドブック」より