高祖山と今宿古墳群

福岡市で生まれ育ちもう50年になろうとしていますが、生まれ育った福岡の街の歴史をある程度理解したく『近場の歴史』を書き始めましたが、現在住んでいる街のすぐ側の高祖山(たかすやま)は『近場の歴史』に絡んでくるポイントの様に思えます。今日は簡単に高祖山をご紹介致します。

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伊都国側から見た高祖山の全景




福岡市と糸島市の境に位置する標高416mの山で遠い昔弥生時代まで遡ると糸島側に伊都国が在り高祖山を境に福岡市側が奴国の領域になっていたような感じ、 高祖山には時代は違いますが怡土城やその跡に高祖城など歴史のある山なのです。


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高祖神社の入口で写した写真

「九州諸将軍記」には「神代より鎮座あり、神功皇后、韓国より帰還ののち、当社の社殿を乾(北西)の方に向け御建立」と記されている。この機縁で神功皇后を相殿に祀ったと記されている。

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 高祖山の北側辺りの山裾には大型の前方後円墳が多数あり、これらを、今宿古墳群といいます。


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 今宿古墳群の発見の歴史は古く、江戸時代に貝原益軒(かいばらえきけん)が著した『筑前国風土記』 の中に以前訪れた丸隈山(まるくまやま)古墳の発見話が記録されています。

http://blogs.yahoo.co.jp/captainmukku7/35508412.html

また、近年の発掘調査により、横穴式石室を日本で最初に墓室として導入した古墳群であることや、4世紀から6世紀にかけて前方後円墳が継続して築造されるという、全国的に見ても珍しい古墳群であることが分かり、2004年4月5日には、国指定史跡になりました。
また、高祖山北麓に前方後円墳だけではなく、小さな円墳が多数あったことが、福岡市教育委員会の調査により分かってきました。それによると古墳の総数は三百数十基に達し、古墳時代高祖山北側の麓は、いわば「墳墓の山」ともいえるでしょうね。