【畿内説】卑弥呼の墓

奈良盆地南西部三輪山の麓に墳丘長が100mに及ぶ前方後円形の墳丘墓(纒向石塚墳丘墓・ホケノ山墳丘墓など) が出現し、同地区に隔絶した大きさの箸墓古墳全長が約280m?と全国で11番目の規模を誇る大型前方後円墳で、築造は周辺の発掘調査で出土した土器の付着物を炭素14年代法で測定した結果、240~260年ごろにつくられた最古の古墳だと判明し、247年頃に没した卑弥呼と時期や古墳の大きさから考えて 卑弥呼 の墓だといわれています。

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3世紀前半の段階からを前方後円墳とする意見もありますが、この画期的で巨大な箸墓古墳をもって、定式化した前方後円墳の成立とする意見が学会の主流です。古墳時代の開始年代は、箸墓古墳と同時期の古墳から出土した中国製の紀年鏡の年代検討や理化学的分析から得られた暦年代を合わせて推定しています。後者は、古墳から出た出土品などから、年代を特定していく訳ですが、古墳出土の土器に付着したススや焦げの分析から年代を求める放射性炭素年代測定法 (AMS法) と、遺跡出土樹木の年輪の計測から年代を定める年輪年代法を組み合わせて精度を高めています。この事から、2世紀中頃の年代観はほぼ動かないとみられます。

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上の図がGoogleearth下の図は桜井市埋蔵文化財センターに展示されている箸墓古墳とホケノ山古墳の3D模型

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箸墓古墳のレーザ計測による赤色立体地図


奈良県橿原考古学研究所は2012年4月に、アジア航測株式会社と共同でヘリコプターを使い三次元航空レーザー計測を実施し古墳に繁った樹々を綺麗に削ぎ取り本来の古墳の姿を表した。前方部の傷みたく割れているのは、宮内庁が立ち入り禁止を出す前はこの辺りの村の通り道だったらしい。宮内庁箸墓古墳を第7代孝霊天皇の皇女 倭迹迹日百襲媛命 やまとととひももそひめのみこと の墓として管理しているが、箸墓古墳卑弥呼の墓と仮定すれば、卑弥呼と大和政権とのつながりも類推できます。