【古墳めぐり】盾持武人形埴輪が出土した古墳

昨年、五郎山古墳を訪れた同じ日に、仙道古墳と焼ノ峠古墳をぐるっと3軒見学して来て、勉強しながら小出しに記事を書いていこうと思っていましたが、年末年始は仕事が超忙しく書く暇すらありませんでしたのでこれからボチボチ書いていこうと思っています。


今回は「盾持武人形埴輪」がほぼ完全な形で出土した仙道古墳を紹介します。場所は以前は三輪町だったが2005年に三輪町と夜須町が、合併して筑前町になり、現在は綺麗に整備された古墳公園になっております。

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Googleearthでとりあえず空からの確認すると博多湾を囲むように福岡平野があるのが分かります。左側が背振山脈で右側が宝満山の山々に囲まれ細くなった場所の付近に太宰府天満宮などがあります。細い場所を抜けると筑紫平野が広がり地図で見るとその麓辺りになります。
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仙道古墳は昭和52年の農業基盤整備事業で発掘が行われた古墳で、当時は墳丘が削り取られていたらしいですが現在は古墳公園として出土した埴輪のレプリカなどを配置され整備されています。
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石室には、赤や緑の彩色で○や◎、△が描かれ、石室前面の周溝内から「盾持武人埴輪」が出土。そして調査の結果、直径49mの2重の周溝を持ち、葺石を持つ2段築成の大型の円墳であることが判明しました。

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昭和53年に国の史跡指定を受け、さらに平成7年から行われた発掘調査で、周溝から多数の円筒埴輪が出土。特に柵形円筒埴輪は出土例が少なく、大変貴重なものです。現在は葺石は再現されていませんが、築造当時の雰囲気を再現。


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石室についても付近で復元模型を展示しており、その内部の様子がよく解るようになっています。それで、面白い話が産業能率大学安本美典教授が、卑弥呼天照大神は同一人物」とした邪馬台国=甘木・朝倉説」を発表したその中心にあたる地として甘木・朝倉一帯は脚光を浴びています。安本説によれば、甘木・朝倉
一帯と奈良県大和地方の地名が驚くほど似ており、奈良の「三輪」もここから移動したのだと言う。
こうした地名の類似や、延喜式内社である隣接の「大己貴神社」の存在、縄文・弥生・古墳時代の遺跡などから、この
地域で勢力を誇っていた「邪馬台国」から、卑弥呼の子孫の「神武天皇」が大和へ東遷し、それ故、故郷一帯の地名が
奈良地方に移ったのだと安本教授は提唱する。



この仙道古墳は6世紀ごろのものとされているので、2世紀中頃まで生きた卑弥呼の時代のずーっと後の5世紀前半の九州王朝説この辺りと深い関係があると思っています。今のところね!








お詫び
昨年の12月19日の五郎山古墳の記事を書きましたが、五郎丸古墳と書いていました。おんじも昨年の流行語大賞にノミネートされていた五郎丸選手と同じ名前だと今まで思っていましたが、検索かけてもおんじの五郎丸古墳しかヒットしないので??正解は五郎山古墳でした~記事は書き直しましたが、コメントは修正が出来ませんのでm(;∇;)mゴメンネ