伊都国の女王が眠る平原遺跡

"伊都国歴史博物館"が休館日だったので、もう一つ行ってみることにしました。そこは、伊都国の女王のお墓と言われている平原遺跡です。

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古墳を一通り見ましたので、お天気も良いし、丁度いいテーブルがあったので、記念にここから記事を書いてみたいと思います。

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このテーブルは遺跡から発掘された銅鏡の『内行花文鏡』を型取った大理石のテーブルなかなか座り心地もいいですよ~

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この遺跡は昭和40年に偶然に土地の持主がミカンの木を植えるための溝を掘ったところ、多数の銅鏡の破片が出土しました。そこで原田大六(はらだだいろく;故人)氏が調査主任となって、大神邦博(おおがみくにひろ;故人)氏とともに発掘調査が行われました。

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1号墓は14m×12mの四隅が丸い長方形でその中央に木棺が埋葬されていました。この墓は弥生時代終末期(約1800年前)に造られたものです。

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副葬品は銅鏡40枚、鉄刀1本、ガラス製勾玉やメノウ製管玉などの玉類が多数発見されています。銅鏡のなかには直径46.5cmの内行花文鏡が5枚ありますが、これは日本最大の銅鏡で非常に貴重なものです。また、ひとつの墓から出土した銅鏡の枚数も弥生時代としては日本一で、伊都国王の墓にふさわしい内容です。

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この墓に葬られた人物は女性、すなわち女王ではないかと考えられています。その理由は、副葬品の中に武器がほとんどないこと、ネックレスやブレスレットなどの装身具(アクセサリー)が多いこと、中国で女性が身につける「耳とう」といわれるイヤリングが副葬されていることです。

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ところで平原遺跡は多くの謎につつまれた遺跡です。そのひとつは発見された銅鏡が全て割られていたということです。

当時、銅鏡はとても貴重なものでした。普通ならていねいに墓に納められるのですが、ここではバラバラに割られていました。なぜ貴重な銅鏡が割られていたのかは謎です。(糸島市のホームページより)

ちょっと日陰になって来て寒くなって来たので、そろそろおうちに帰ろうっと…

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平原古墳から見た風景九州大学伊都キャンパスが遠くに見えるが左側のとんがった山は何山?目立つ山やな~