ピエールが咲いたぞ~
今年初のブログやわ~
ほんま久しぶり
ガーデニングは、私の趣味の一つですが、昨年値引きになったピエールの苗を購入し、花を見ぬまま約一年間育て続け、立派に育ち、今日、初咲きしました。この感動を書き残さなくてはと、湿めりきってたブログ執筆にエンジンが掛かりました。
ピエール ド ロンサール
Pierre de Ronsard
いつまで、咲き続けて楽しませてくれるのかなぁ
兄弟のブランも沢山蕾を付けていた枝が、強風で鉢が転倒した時折れ、少し短くなってしまいましたが、順調に開花の準備中です。
他の薔薇たちも沢山蕾を付け爆発寸前!
楽しみやわ~
諏訪の神様
⛩️諏訪神社
御祭神
🔸大己貴神
🔸事代主神
📍福岡県福津市西福間2丁目1番15号
今回は宗像大社と周辺の神社や古墳等を散歩みました。先ずは、福津市の諏訪神社です。昨年の夏の長崎旅行の時、長崎市の鎮西大社諏訪神社に参拝したとき少し諏訪神社の歴史や祭神の建御名方神(タケミナカタ)の事を調べてみました。インスタはpost したけど、確認したらブログはお休みしてたみたいですね😓
と云うことで、ブログをはじめてから日本の歴史を遡り古事記の日本神話に繋がり、昨年から神社仏閣巡りも始め、神代の時代と呼ばれる時代に非常に興味が湧き、今では諏訪と聞けば、諏訪湖、諏訪大社、御祭神の建御名方神(タケミナカタ)と連想するようになってしまいした🤭
全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社の諏訪大社ですが、御祭神の建御名方神は大国主(オオクニヌシ)の子供といわれています。高天原のニニギが降臨してくる前にアマテラスの使者の建御雷神(タケミカヅチ)が、葦原の中国に降り立ち、十掬の剣を逆さに突き立て地上の統治権を渡すように大国主に迫った。大国主は二人の息子に訊ねてくれと。大国主の一人目の息子事代主(コトシロヌシ)はすんなりと服従するが、もう一人の息子の建御名方神は、最後まで抵抗し、アマテラスの使者の建御雷神に対して力比べでの勝負を挑みます。
こうして力自慢のタケミナカタはタケミカヅチの手を掴もうとした瞬間、タケミカヅチの手が剣に変わり、タケミナカタが困惑しているとタケミカヅチはタケミナカタの腕を掴み軽々と投げ飛ばしてしまいます。(因みにこの戦いが相撲の起源とも云われているそうです。)
敗れたタケミナカタは出雲から逃げ出して信濃国へと逃れますが、タケミカヅチはタケミナカタを追い信濃で、捕まってしまいます。
タケミカヅチに殺されかけたタケミナカタは国譲りに同意し、今後、諏訪から外に出ない事を約束し、許されました。この辺りまでが『国譲り』のお話ですが、色々深掘り出来そうです。この話だとタケミナカタは、尻尾を巻いて逃げ出した負け犬の様で、弱いイメージですが、神功皇后、坂上田村麻呂、武田信玄が建御名方神を軍神として祀り、崇めていたほどの神様です。調べたら、中臣氏(藤原氏)の祖神が、タケミカヅチらしく、時の権力者の元明天皇(天智天皇の子)と、藤原不比等(藤原鎌足の子)の創作したものではないかという説もネットで見つけ、なるほどあり得るなと思いました。
しかし、大国主が、領していた葦原の中国を、高天の原勢力に譲った事は史実だったんじゃないかなぁ~と思っています。
【DYI 】神棚の雲板を手作りしちゃおう (後編)
雲の細かい所をジグソーで切り取りしてたら
後少しで切り取り作業が終了と云うところで、振動で一部割れてしまい仕方なく左右対象にする為上手く出来上がったほうも切り取り左右対象にしました。
正月になりましたので、初詣でお札を購入したので笹も頂きましたので、一緒に飾ってみました。
令和新年初ブログは糸島の櫻井神社へ初詣
昨年は年末から仕事が忙しくブログもインスタも休止状態でした。昨年の雲板DYI も完成したので、早く記事にしたいのですが、とりあえず、令和初の新年を迎えましたので、先ずは、年始の記事から書きたいと思います。
新年初日はのんびりお家で過ごし、2日の早朝、氏神様の参拝を済ませ、糸島の櫻井神社へ初詣に行きました。わが家の初詣もやっと定着してきたみたいです。
毎年、初詣渋滞を避ける為、3日の夕方辺りに初詣に行ってましたが、今年は『令和初の新年』と云うこともあって出来るだけ早く初詣に出掛けたく、この間、霧島神宮に早朝参拝をした時の事を思い出し、今年の初詣は早朝参拝(午前8時前位)にチャレンジして込み合う前に参拝して、帰る頃沢山の参拝者が来られてましたので来年からこのパターンで初詣に出掛ける事と思います。
櫻井神社
📍福岡県糸島市志摩桜井4227
【御祭神】
🔸神直日神
🔸大直日神
🔸八十枉津日神
櫻井神社の楼門の扁額には與止姫大明神と書いてあります。
二代目藩主、黒田忠之の創建時は、社名が與止姫大明神だったそうですが、明治に入り櫻井神社と改称したそうです。與止姫とは誰なのか気になりますね。
続いて
岩戸宮です。
御祭神は櫻井神社とは又別で、海の神様の綿津見神です。
正月の3日間は、岩戸宮も開きますので、お参りすることができます。岩戸宮は正月の1日~3日迄の3日間と7月2日しか開かないので、初詣にお勧めです。櫻井神社に来るとお伊勢参りも出来るんですよ。
櫻井大神宮
櫻井神社の楼門を出ますと正面に神楽殿があり、左側の石段を登りますと、伊勢神宮の内宮と外宮を一体化した神明造りの『櫻井大神宮』がございます。
山々に囲まれた境内は、幻想的な雰囲気で、別世界の景色を見せてくれると思います。
【DYI 】神棚の雲板を手作りしちゃおう (前編)
もうすぐ正月と考えたら、来年は更にいい年を迎えたいし、その為、今年もお世話になった我が家の神棚をかっこよくしめ縄を飾ろうとAmazonで『神棚用 中太 しめ縄』を注文したので、しめ縄を支える雲板を調べたら、雲の形に決まりは無いらしいので、オリジナル雲をdyi しちゃおうと早速近くのホームセンターへ
型紙の半分にして片面を先に書き上げて半分に折り曲げて、なぞり書いて、左右対象のデザインを書き上げて、切り抜きます。
型紙を鉛筆で板に写します。
工房(小屋)でジグソーでカット
とりあえず今日の作業はここまで、明日仕上げて取り付ける予定です。
師走を感じさせるChristmas tree version
店頭には正月の商材が並び師走を感じさせるようになって来ましたね。
最近は神社ネタが続きましたので、気分転換に近所に在る福岡タワーの夜景を紹介します。
画像なんで、これだけですが、数分毎にサンタさんが、ソリに乗ってやって来ます。
動画は撮ってましたが、画像は確認したら、在りませんでした~
車でタワー周りを一周したところ近くに街路樹にホワイトled のイルミネーションが飾られてましたが、幻想的でしたね~タワーに街路樹、若者の夜のデートスポットになってることでしょう♪
日本武尊が亡くなり白鳥となり南九州へと飛び立った
《霧島弾丸ツアー⛩️白鳥神社》
霧島峯神社の別れ際、神職さんに白鳥神社までの時間を訪ねたら、農免道路を通れば30分掛からないと教えて頂き、現時間が16時、急がないと、日が暮れてしまう。ISO!GO!GO!GO!
ひたすら、農免道路を進むと、丁度16時30分白鳥神社の看板が見えて、矢印の方に曲がり山道を上ると一台の車と入れ違いました。
???もしかすると神社関係者のお方?いやいや参拝者ジャロ~ひょっとしたらアウトout!👍
居て下されば、御朱印も拝受できたかも知れないのが残念。でもまだ16時30分お帰りも普通17時タイムカードでしょうが...チャンスはまだある👌本題に入る前に答えを言っておきます。
答えアウト👍😭
⛩️白鳥神社
📍 宮崎県えびの市大字末永1479
御祭神 日本武尊
▪「熊襲討伐」に因縁か
『その昔、霧島山中の霊くつを巡って修行していた性空上人が、山中の六観音池のほとりに座し、法華経を読んでいると、こつ然と翁(おきな)が現れ、上人に告げた。
「私はヤマトタケルである。白鳥となって、この山中に住むようになって、とき久しい。上人の読経、苦しい修行の徳に感応して、ここに身を現した」
上人は、この因縁で神社を創建し、白鳥権現を祭った。また聖観音を本尊として、白鳥山満足寺(廃寺)を造営、ヤマトタケルの霊魂を守る社殿としたという。
ヤマトタケルの霊魂が白鳥となったということは、日本書紀景行天皇條にみえる。
天皇に服従しない東国の者を征伐した後、ヤマトタケルは近江国(滋賀県)の膽吹(いぶき)山で、大蛇に化けた山の神の毒にあたった。やっとの思いで伊勢国能褒野(のぼの・三重県)に至ったが、ここで亡くなった。30歳であった。
景行天皇は、これを聞き、「今より以後、誰とともに鴻業(あまつひつぎ)を經綸(おさ)めむ」と昼夜しのび泣き、伊勢国能褒野陵に葬った。そのとき、ヤマトタケルは白鳥となって陵から大和国を指して飛び去った。群臣たちが、ひつぎを開いてみると、中には衣服だけが残っていて遺骨はなかった。
白鳥の行方を追うと、大和国の琴弾原(ことひきはる)に止まっていたので、そこに陵を造った。白鳥はさらに河内国・旧市邑(ふるいちむら)に飛んだ。ここにも陵を造った。当時の人はこの3つの陵を白鳥陵と呼んだ。しかし、その後白鳥は高く飛んで天に昇ったという。
ヤマトタケルの化身・白鳥が、えびのに飛んできたというのは、景行天皇とタケルが日向に下って熊襲(くまそ)を討ったということに因縁を持つものであろう』
みやざきの神話と伝承101 『白鳥神社とヤマトタケル』より 一部引用
本来霧島六社権現とは、
・霧島神宮 (鹿児島県霧島市)
・霧島岑神社 (宮崎県小林市)
・霧島東神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・東霧島神社 (宮崎県都城市)
・狭野神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・夷守神社 (明治時代に霧島岑神社に合祀)
の六社のことですが、夷守神社は霧島岑神社に合祀されていますので、六社と捉えるのか五社と考えるのか、村上天皇の時代(平安時代中期)に霧島山などで修験道の修業を行った性空上人と関わりの深い白鳥神社を六社ともいわれてる様です。
さぁ境内へ進みましょう
個性的な狛犬さんがお出迎えしてくれました
私は予備知識なしで白鳥神社へ来たので日本武尊像像を見て、お会い出来た感メチャクチャあって感動しました。
龍の蛇口も素敵です。
拝殿の両脇は見事な紅葉でした。
帰宅後、調べながらブログを書き上げてからインスタにpost してますが、やはり下調べは必要でした。まぁ時間内に行きたい予定していた神社は全て行けましたが、霧島六社権現の龍柱の存在を知らなかったのは残念でした。神様が「またおいで」のサインとしておきます。
それにしても紅葉が美しい
社務所は閉まって無人でしたが、書き置きの御朱印を拝受出来ました。感謝です。