仁王像が見守る霧島峯神社
日向三代に関わりの深い神社とされています。《日向三代・・・ニニギノミコト・ヒコホホデミノミコト・ウガヤフキアエズノミコト》
いつ頃作られたのか、歴史を感じさせる仁王像(金剛力士像)がお出迎え
⛩️霧島峯神社
📍 宮崎県小林市細野4937
【御祭神】
* 天津彦火瓊瓊杵尊(天孫)
* 木花開耶姫命(妻)
* 彦火々出見尊(ニニギの息子の山幸彦)
* 豊玉姫尊(山幸彦の妻)
* 鸕鶿草葺不合尊(山幸彦の息子で神武天皇の父)
* 玉依姫命(ウガヤフキアエズノミコトの妻)
霧島岑神社は昔、高千穂峰中腹の瀬多尾(高千穂峰と御鉢の中間地点の窪地)に鎮座していたそうです。
度重なる噴火により、社殿が焼失し、享保14年(1729年)夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座した。
明治6年(1873年)霧島六社権現の一つであった夷守神社を合祀した後、夷守神社跡地に遷座し現在に至る。
参拝を済ませたら、16時になろうとしていたので、最後の白鳥神社は諦めようと思って、社務所でもう少し神社の事も聞きたかったのですが、白鳥神社が30分かからないと言われて、これはギリ参拝出来ると思い駆け足で駐車場に戻り白鳥神社に向かいました。後でネットで調べて分かったのですが、霧島峯神社にも、立派な龍柱があった様です。次回は是非龍柱を間近でみたいものです。
伊邪那岐が十握の剣で切った神石や鬼が一夜で作った階段もある東霧島神社
《霧島弾丸ツアー⛩️東霧島神社》
霧島六社権現巡りの三社目になります東霧島神社ですが、ここはパワー炸裂見所満載の神社さまです。
霧島六社権現の一社で、東(つま)霧島神社昔、東の事を「あづま」と呼んでいましたが、いつ頃からか「あ」が取れて呼ばれる様になったらしいです。
⛩️東霧島神社
📍 宮崎県都城市高崎町東霧島
【主祭神】
鳥居の前に大きな赤鬼さまがお迎えされてます。
【相殿】
▪瓊瓊杵尊
▪天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
▪彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
▪鵜葺草葺不合尊
▪神日本磐余彦尊(かむやまといはれひこのみこと)
幸招大楠 ~性空上人御霊徳樹~
樹齢1000年 の楠木です。幹周910cm・高さが30m
鬼が一晩で造ったとされ、振り向かずに上ると願いが叶うという「鬼岩階段」また、東霧島神社には、鬼の神話があるそうです。
『その昔、悪事を働き村人を困らせる鬼がこの地に住んでいました。
ある日、鬼は村一番の美しい娘を嫁にしたいと思い霧島の神にお願いしたそうです。
そこで、霧島の神が「一晩のうちに千個の石を積み上げることが出来たら願いを叶えよう。しかし、出来ない時はこの地を立ち去れ」と言ったのだそうです。
鬼はみるみる石を積み上げ、999個を積んだところで、霧島の神が東の空を明るく照らし、鶏を一斉に鳴かしたので、鬼は夜が明けたと思い退散しました。』
さぁ鬼が一晩で作ったとされる「鬼岩階段」を登ってみたいと思います。階段の石なら一つ一つが大きいので、躓かないように一歩一歩気を付けて上りましょう。
鬼の話といえば、日向神話にも鬼の窟(おにのいわや)という昔話があります。こちらの主人公は瓊瓊杵尊と木花開耶姫命それと姫のお父さんのコノハナサクヤヒメがニニギノミコトと出会う前の話ですが...
『昔、西都原に鬼が住みついていた。ある日鬼は美しいコノハナサクヤヒメを見かけ、「是非とも嫁にしたい」と姫の父オオヤマツミに申し込んだ。
娘を鬼の嫁にするわけにはいかないオオヤマツミは「一晩で大きな岩屋を作りあげれば嫁にやろう。」と鬼に難題を出した。
しかし力持ちの鬼は夜明け前に岩屋を完成させ、安心して居眠りをし始めた。
そこへやって来たオオヤマツミは完成した岩屋を見て驚いた。困ったオオヤマツミは鬼の眠っている隙に石をひとつ抜き取り投げ捨てた。
夜が明け、鬼が目覚めるとすぐにオオヤマツミがやって来て「石の抜けた岩屋に娘を嫁にやるわけにはいかん。」と姫との縁談を断った。』
鬼が手玉にとられた、どことなく似ている神話と思いました。
フッ!結構上りきると達成感がありますよ。龍が飾られた山門が見えて来ました。迫力のある龍ですね✨
龍好きの著者にはたまりません。
拝殿から龍柱が確認されますね霧島東神社でも龍柱が確認出来ましたが格好いいですね。意味を知りたいですね。
龍の口から湧き出る御神水は、幸運・開運・厄除けのご利益があると言われています。それにしてもオリジナル龍が龍好きの著者のハート💓を..射止められましたね(ॢ˘͈ㅂ˘͈ ॢ)੭᷅ゥʊʊ・・・
イザナギとイザナミは多くの神々をも産み、最後に産んだ火の神である加具土命を生み火傷で亡くなります。その愛しい妻イザナミを恋い慕う悲しみの涙で凝り固まったのが、「神石」(神裂石・魔石・雷神石・割裂神石)であるといいます。
そして、夫イザナギが腰に付けていた「十握の剣(とつかのつるぎ)」で悲しみの涙で凝り固まった石を今後再びこのような災難に世人が遭わないように‥‥と、深き祈りの心を込めて三段に切ったといいます。この十塚剣はその後霧島山の土砂に埋まって所在が分から なくなりましたが、一羽の鳩が橘の木の上を旋回するのに気 付いた修行僧(性空上人)が木の下を掘ると、一点の曇りもない剣が土中の石鞘の中から現れたといいます。
その「十握の剣」は東霧島神社の神宝であり、厄除け・魔除けの神となり御社殿に鎮め納めておられるそうです。
と東霧島神社を参拝させて頂きましたが、「鬼岩階段」と「神石」の神話もあり、何か見えないけど凄い力を感じた神社さまでした。
霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)
宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある以下の6つの神社の総称である。
霧島六社権現は、村上天皇の時代(平安時代中期)に霧島山などで修験道の修業を行った性空上人によって整備されたものである。
・霧島神宮 (鹿児島県霧島市)
・霧島岑神社 (宮崎県小林市)
・霧島東神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・東霧島神社 (宮崎県都城市)
・狭野神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・夷守神社 (明治時代に霧島岑神社に合祀)
御祭神が天孫降臨したニニギさまから初代天皇の神武天皇までと豪華ラインナップな神社
《霧島弾丸ツアー⛩️狭野神社》
参道には樹齢400年以上の狭野杉並木が、もっとも長い表参道で約1.3kmあるそうです。私は駐車場からなので、中間付近から参道に入りました。
参道の途中に強いパワーを感じスマホで撮影
太陽光とカメラの角度で写り混む現象の一種かもしれませんが、私は出来れば、スピリチュアル的な方で考えたいですね~♪
⛩️狭野神社
御祭神
【主祭神】
▪神日本磐余彦命
【相殿】
▪吾平津姫命
▪彦火々出見尊
▪豊玉姫尊
▪鸕鶿草葺不合尊
▪玉依姫命
御祭神は神武天皇で相殿が家族でズラッと吾平津姫命(あひらつひめのみこと)とは神武天皇の奥さん✨そして瓊瓊杵尊と木花開耶姫命はひいじいちゃんとひいばあちゃん✨彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)はおじいちゃん、豊玉姫尊ははおばあちゃん✨鸕鶿草葺不合尊(うがやふえあえずのみこと)はお父さ玉依姫命(たまよりひめのみこと)はお母さんと天孫降臨したニニギさまから初代天皇の神武天皇までと豪華ラインナップで驚きました。
狭野神社の社名は神武天皇の幼名「狭野尊」から付けられたとの事です。
拝殿
御神木
霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)
宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある以下の6つの神社の総称である。
霧島六社権現は、村上天皇の時代(平安時代中期)に霧島山などで修験道の修業を行った性空上人によって整備されたものである。
・霧島神宮 (鹿児島県霧島市)
・霧島岑神社 (宮崎県小林市)
・霧島東神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・東霧島神社 (宮崎県都城市)
・狭野神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・夷守神社 (明治時代に霧島岑神社に合祀)
霧島東神社
《霧島弾丸ツアー⛩️霧島東神社》
霧島東神社は江原啓之や櫻井識子さんも訪れたパワスポ好きな方には有名な神社様なので楽しみです。
⛩️霧島東神社
【主祭神】
【配祀】
▪天照大神(アマテラスオオミカミ)
▪鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
▪神日本磐余彦尊(カムヤマトイハレヒコノミコト)
後から地図を見てたら多分、皇子原港から高千穂峰の方角を見てたら麓辺りに車が見えてたので、正面くらいの位置かも御池の周りを登って行き、霧島東神社の駐車場に到着です。御池が見えますが、地図からでは高さが分からなかったですが、結構登ってきてますね。御池には九頭の神龍が住んでるし、神武の遊び場たったという神秘的な湖なんです。
霧島東神社の歴史を簡単に説明すると昔、高千穂河原に今の霧島神宮ではなく、霧島神社がご在いましたが1235年に火山噴火で消失し、東西に分かれました。西は現在の霧島神宮になり、東が、霧島東神社となりました。
駐車場の所に社務所があったので、参拝前に御朱印をお願いするつもりが扉と閉まっていてお留守その様子。アルアルなので先に参拝。⛩️をくぐります。
櫻井識子さんがここを通るだけで禊になるらしいとのことです。私も勿論通りました。
「東霧島坐」と書かれた扁額は寛文6年(1666)薩摩藩主島津光久公の寄進
殿内奥には雌雄一対の龍柱が見えます。
拝殿の左側の山から修験者の方が下りてこられ法螺貝や読経をありがたく聞かせて頂きました。(インスタには動画をpost してますので、修験者の音声が聞けますよ)
帰る途中、行きがけも気になってましたが、参道の途中ご神域が在り写真を写すと、強いパワーを感じました。
霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)
宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある以下の6つの神社の総称である。
霧島六社権現は、村上天皇の時代(平安時代中期)に霧島山などで修験道の修業を行った性空上人によって整備されたものである。
・霧島神宮 (鹿児島県霧島市)
・霧島岑神社 (宮崎県小林市)
・霧島東神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・東霧島神社 (宮崎県都城市)
・狭野神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・夷守神社 (明治時代に霧島岑神社に合祀)
神武天皇が幼い頃遊んだ皇子原
《霧島弾丸ツアー御池の皇子港と⛩️皇子原神社》
初代の天皇・神武天皇は、天孫降臨の地・高千穂峰の麓、皇子原(おうじばる)で生まれたという伝説があるので霧島東神社に行く前に寄ってみました。その神武天皇が幼少時に遊んだ場所が御池の皇子港だと云われています。
御池は、約4600年前の噴火でできたカルデラ湖です。
直径約1km、周囲3.9km、ほぼ円形ですが水深は93.5m有り、日本で最も深い火口湖になります。
水辺まで行きましたが水が凄く透明度があって綺麗でしたね~驚きました。
ここは、皇子港といい、御池の湖畔に有り、狭野尊(神武天皇)が幼少の頃遊んだと伝えられています。正面に見える山が高千穂峰です。
次は、皇子原公園内にある皇子原神社に行ってみたいと思います。
⛩️皇子原神社
【御祭神】
▪神武天皇(御幼名は狭野尊 サノノミコト)
階段を上ると小さな祠が見えて来ました。
神社のある辺りは古墳があったようですね
神社の裏側には古代の住居も再現されてました。サノノミコトの暮らしぶりをイメージしやすかったです。
霧島神宮の裏手に鎮座する山神社
《霧島弾丸ツアー⛩️山神社》
霧島神宮の本殿に向って、左側に裏手に周れる小道を進みます。
山道に繋がる小道のようです。
森林の中なので薄暗い感じの小道を進むと赤い実を付けた植物が..,
更に小道が続きます。
木製の鳥居が表れました。
⛩️山神社
【御祭神】
大山津見神(オオヤマヅミノオオカミ)
大山津見神は「偉大なる山の神」という意味を持ち、山の神として各地でお祭りされています。
大山津見神は、ニニギの妻となったコノハナサクヤヒメのお父さんです。古事記でも、高天原から降臨された地でニニギはコノハナサクヤヒメと結婚されたので、大山津見神はこの地の神様かも...
鳥居を潜ると小さな祠がございました。人気のない森林の中に静かに祀られていました。
清められた空間で、心が癒されました。時間の許す限りこの場に居たく、弾丸ツアーなのについつい時間オーバー気味になってしまいました。
秋の霧島神宮
《霧島弾丸ツアー⛩️霧島神宮②》
紅葉が彩る三の鳥居の朱とマッチしてますね~(中々お気に入りの写真が撮せました)
霧島神宮は日本で初めて国立公園に指定された霧島連山にあります。神々がこの世を作り、治めたという神話の時代に、天上界より望む「霧に煙る海に浮かぶ島」が「霧島」の名の由来とされています。
駐車場から境内に入ったので、三の鳥居からお邪魔させて頂きます。朱が鮮やかなですね
立派な手水舎ですね✨
霧島神宮の手水舎の手水鉢と龍の吐水口の作者は岩永三五郎です。
早朝なので神職さん等関係者ばかりでした?柏手があちこちから聞こえて来ます。神様を下ろしている感じがしました。早朝は何時もの作法なのでしょうか。とりあえず参拝者はまだ少ないので、境内をぐるぐるぐるぐる周りながら写真を撮りました。
豪華な装飾を持つ社殿の建築は、1715年に島津吉貴が造営したものらしい。
絢爛たる朱塗りの本殿、拝殿、勅使殿等その配置は西の日光とも称せられます。
黒塗りの金文字の賽銭箱に菊の御紋が凄い!
御神木の大杉
「霧島メアサ」と呼ばれる、推定樹齢800年、高さ38メートル、幹まわり7.8メートル。「霧島スギ」南九州の杉の祖先と言われています。
坂本龍馬とお龍が新婚旅行の先駆けと云われて、霧島神宮《明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称し、霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。》を訪れた事を姉の乙女(おとめ)に送った手紙に境内の大杉の事や神殿の建物が凄かった事等が書かれてたらしいのですが、当時はまだ西御在所霧島権現さまだったんですね。
烏帽子を被った小さな神職さんの様に見えますね~
霧島神宮で今回買ったお守りは、こちらの『九面土鈴』です。九面=工面がつくと云うとっても縁起がいい土鈴。何となく『千と千尋の神隠し』に出てきたダルマさんの様にも見えました。
霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)
・霧島岑神社 (宮崎県小林市)
・霧島東神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・東霧島神社 (宮崎県都城市)
・狭野神社 (宮崎県西諸県郡高原町)
・夷守神社 (明治時代に霧島岑神社に合祀)