諏訪の神様
⛩️諏訪神社
御祭神
🔸大己貴神
🔸事代主神
📍福岡県福津市西福間2丁目1番15号
今回は宗像大社と周辺の神社や古墳等を散歩みました。先ずは、福津市の諏訪神社です。昨年の夏の長崎旅行の時、長崎市の鎮西大社諏訪神社に参拝したとき少し諏訪神社の歴史や祭神の建御名方神(タケミナカタ)の事を調べてみました。インスタはpost したけど、確認したらブログはお休みしてたみたいですね😓
と云うことで、ブログをはじめてから日本の歴史を遡り古事記の日本神話に繋がり、昨年から神社仏閣巡りも始め、神代の時代と呼ばれる時代に非常に興味が湧き、今では諏訪と聞けば、諏訪湖、諏訪大社、御祭神の建御名方神(タケミナカタ)と連想するようになってしまいした🤭
全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社の諏訪大社ですが、御祭神の建御名方神は大国主(オオクニヌシ)の子供といわれています。高天原のニニギが降臨してくる前にアマテラスの使者の建御雷神(タケミカヅチ)が、葦原の中国に降り立ち、十掬の剣を逆さに突き立て地上の統治権を渡すように大国主に迫った。大国主は二人の息子に訊ねてくれと。大国主の一人目の息子事代主(コトシロヌシ)はすんなりと服従するが、もう一人の息子の建御名方神は、最後まで抵抗し、アマテラスの使者の建御雷神に対して力比べでの勝負を挑みます。
こうして力自慢のタケミナカタはタケミカヅチの手を掴もうとした瞬間、タケミカヅチの手が剣に変わり、タケミナカタが困惑しているとタケミカヅチはタケミナカタの腕を掴み軽々と投げ飛ばしてしまいます。(因みにこの戦いが相撲の起源とも云われているそうです。)
敗れたタケミナカタは出雲から逃げ出して信濃国へと逃れますが、タケミカヅチはタケミナカタを追い信濃で、捕まってしまいます。
タケミカヅチに殺されかけたタケミナカタは国譲りに同意し、今後、諏訪から外に出ない事を約束し、許されました。この辺りまでが『国譲り』のお話ですが、色々深掘り出来そうです。この話だとタケミナカタは、尻尾を巻いて逃げ出した負け犬の様で、弱いイメージですが、神功皇后、坂上田村麻呂、武田信玄が建御名方神を軍神として祀り、崇めていたほどの神様です。調べたら、中臣氏(藤原氏)の祖神が、タケミカヅチらしく、時の権力者の元明天皇(天智天皇の子)と、藤原不比等(藤原鎌足の子)の創作したものではないかという説もネットで見つけ、なるほどあり得るなと思いました。
しかし、大国主が、領していた葦原の中国を、高天の原勢力に譲った事は史実だったんじゃないかなぁ~と思っています。