弥生時代にタイムスリ~ップ!! 最終章 王家の墓


いよいよ吉野ヶ里遺跡最終章になる吉野ヶ里の王家の墓になる北墳丘墓の見学です。

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北内郭を出てしばらく歩くと、古墳らしき、山が見えて来ました。あれが、王家の眠る墳丘墓です。

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墳丘墓に近づくと、沢山の甕棺墓が、墳丘墓の近辺に埋められてます。

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さぁ中へ入って見ましょう。
ここは、発掘された状態で見れる様、一旦保管されていた甕棺14基を、再び北墳丘墓の遺構面に設置仕直し、本物の持つリアル感を体験できるように考えられています。

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本物の遺構を露出展示するために、ポリシロキサン系樹脂を遺構面に散布して、ヒビ、カビ、コケの発生を防いでいるそうです。

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遺跡を間近で見れる様に周りに通路が作られ、通路の下には、換気口が無数にありました。このダクトで、湿度調整をして遺構面の環境を保つ様に管理されています。

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展示も、本物に勝るものはありませんが、レプリカと比べ維持管理がとても大変な事だと分かりました。

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墳丘墓と古墳の違いが説明板に書いてあります。

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通路には、王家の墓を祀る姿をイメージし易い様に模型が展示されてました。

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これで、吉野ヶ里遺跡の記事全て書き終わりました。ε-(´・`) フー最後にWCの標識が弥生式のタイルが、妙に印象的だったので記念にカシャ…カシャ



ご先祖様の当時の暮らしのご苦労は想像しても一言では言えませんが、この吉野ヶ里の遺跡や資料を見て、もしかして邪馬台国かとも思っていましたが、調べて行くうちに、邪馬台国があった時代よりも、若干早い時代だといわれている様でした。では、邪馬台国が存在していた時期の吉野ヶ里はどうだったのかが、気になりますが…


弥生時代吉野ヶ里のクニを見学して、イメージをしてみると、やはり敵の攻撃からクニを守る為、集落の周りに、濠や塀を張り巡らせ、日夜、望楼から敵を見張っていなければならなかった弥生人達の環境の厳しさを感じさせられました。