魏志倭人伝から弥生人の生活感を読み取る

魏志倭人伝とは、西晋の文官・陳寿が書いた「三国志」にある「魏書」の「東夷伝」の中で倭人について記した箇所をそう呼んでいます。3世紀の末280年呉の滅亡~ 297年陳寿の没年の間に書かれ、陳寿の死後、中国では正史として重んじられてます。
そこに、当時の「倭」が邪馬台国を中心とした小国の連合であったことが伝えられるとともに、そこに住む倭人の人々の生活が描かれています。魏志倭人伝の原本の一部分ですが、全て翻訳されてます。面白いところを色付けしてピックアップして見ました。

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         魏志倭人伝 原文》

"國次有呼邑國次有華奴蘇奴國次有鬼國次有爲吾國次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國次有支惟國次有烏奴國次有奴國此女王境界所盡其南有狗奴國男子爲王其官有狗古智卑狗不屬女王自郡至女王國萬二千餘里男子無大小皆黥面文身自古以來其使詣中國皆自稱大夫夏后少康之子封於會稽斷髮文身以避蛟龍之害今倭水人好沈没捕魚蛤文身亦以厭大魚水禽後稍以爲飾諸國文身各異或左或右或大或小尊卑有差計其道里當在會稽東治之東其風俗不淫男子皆露?嗔以木緜招頭其衣横幅但結束相連略無縫  婦人被髮屈?嗔作衣如單被穿其中央貫頭衣之種禾稻紵麻蠶桑緝績出細紵?堊緜其地無牛馬虎豹羊鵲兵用矛楯木弓木弓短下長上竹箭或鐡鏃或骨鏃所有無與擔耳朱崖同倭地温暖冬夏食生菜皆徒跣有屋室父母兄弟臥息異處以朱丹塗其身體如中國用粉也食飲用邊豆手食其死有棺無槨封土作冢始死停喪十餘日當時不食肉喪主哭泣他人就歌舞飲酒巳葬擧家詣水中澡浴以如練沐其行來渡海詣中國恒使一人不梳頭不去?栲蝨衣服垢汚不食肉不近婦人如喪人名之爲持衰若行者吉善共顧其生口財物若有疾病遭暴害便欲殺之謂其持衰不謹出真珠青玉其山有丹其木有{木冉}杼豫樟?漬櫪投橿烏號楓香其竹篠幹桃支有薑橘椒襄荷不知以爲滋味有爾猴黒雉其俗擧事行來有所云爲輒灼骨而卜以占吉凶先告所卜其辭如令龜法視火?繋占兆其會同坐起父子男女無別人性嗜酒 見大人所敬但搏手以當跪拜其人壽考或百年或八九十年其俗國大人皆四五婦下戸或二三婦婦人不淫不妬忌 不盜竊少諍訟其犯法輕者没其妻子重者滅其門戸及宗族"












男子無大小皆黥面文身    男子は大人、子供の別なく、みな黥面と身体にいれずみをしている。


男子皆露?嗔以木緜招頭其衣横幅但結束相連略無縫  男子は皆露?嗔し、木綿を頭に招り横広の布を、ほとんど縫わないままつなげて、ひもで結び束ねている。
婦人被髮屈?嗔作衣如單被穿其中央貫頭衣之   婦人は束ねた髪をまとめて、単衣の中央から頭を出して着ている。
皆徒跣   皆はだしである。
食飲用邊豆手食   飲食は高杯をつかって手づかみで食べる。
人性嗜酒  人々は酒好きである。
其俗國大人皆四五婦下戸或二三婦    その習俗では、大人(上層階級)は皆四、五人の妻を持ち、下戸(下層階級)でも、ある者は二、三人の妻を持っている。
不盜竊少諍訟    泥棒や訴訟などはあまりない。
其犯法輕者没其妻子重者滅其門戸及宗族     法を犯した者は、罪の軽い場合はその妻子を取り上げ、罪の重い場合はその家を滅ぼす。


この様に、中国語も何となく読めそうだし、「入れ墨」、「裸足」、「手食」「酒好き」「一夫多妻」、「治安維持」魏志倭人伝の一部から邪馬台国の生活ぶりが何となくイメージ出来そうです。