弥生時代にタイムスリップ!

25日のお出かけの記事を書き残したいと思います。この日は、おんじの嫁がお仕事でしたので、おんじの実母と母の妹の二人を誘い、三人で険しい背振の山々を上っちゃ下り~上っちゃ下り(もちろん車)で約1時間で佐賀県神埼郡にある吉野ヶ里遺跡に行って来ました。

ここら辺りは日頃から、よく通る場所ですが、いつも素通りしてました。でも歴史好きになった今までは、いつの間にか早く行きたい場所になってしまってましたね~

へっぱくはこのくらいにして、本題に入りたいと思います。

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うほほ...入場ゲートが見えてきましたね~ゲートをくぐるとあの先はきっと弥生時代にタイムスリッ~プするはず。まだ何も見えてこないな~うほほ...

ここ吉野ヶ里は、佐賀県の工業団地を造る時に遺跡が出て、昭和61年から本格的な文化財の発掘調査が行われました。そして、我が国弥生時代最大規模の環壕集落であることが確認され、『魏志倭人伝』の邪馬台国に類似した遺構や遺物が次々と発見されました。

日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。平成4年に国営の吉野ヶ里歴史公園として面積約86.7haの歴史テーマパークになりました。(吉野ヶ里歴史公園HPより)

見どころの一つの環濠集落の特長の塀が見えて来ましたよ~!

環濠集落(かんごうしゅうらく)とは、周囲に堀をめぐらせた集落のこと。水稲農耕とともに大陸からもたらされた集落で、防御と拠点という特色がみられる。断面が深くV字形に掘削された環濠やその周辺に逆茂木(さかもぎ)と称されるような先を尖らせた杭を埋め込んでいる様子から集落の防御的性格があったことが窺える。今のところ、弥生時代でもっとも古い環濠集落は、北部九州の玄界灘沿岸部に位置する福岡県粕屋町の江辻遺跡で弥生時代早期のものが見つかっている。大規模環濠集落では、ここ佐賀県吉野ヶ里遺跡大阪府の安満遺跡や池上・曽根遺跡、奈良県の唐古・鍵遺跡などのが挙げられる。米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになり、人々は自分たちの集落を
守るために集落の入口など特に重要な区域には、とがった木の枝や幹でバリケードを築きより厳重に守っていました。これを逆茂木と呼んでいます。

おんじはま~ずこの逆茂木を見たかったんです

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さあ~環濠集落の特徴の集落を囲んである塀が見えて来ましたよ~塀をくぐるとV字形に掘削された環濠と草むらにごっつい逆茂木が、突き刺さっていました。

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弥生時代には、農耕(稲作・水田)が発達していった時代です。こんどはその備蓄した作物などを狙う「敵」が現れ、無防備と言うわけにはいかなくなります。そこで、集落に環濠をめぐらし、防備柵を設け、「敵」の襲撃に備えることになりました。この徹底した防備から、倭国大乱」の時期を想像できますね。

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木々を覗き込むと見たことの無い鳥が逃げる様子も無くこちらの様子を見ています。後でスタッフの方に聞いたところ、キジと分かりました。 なるほど...なるほど

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なんでUPがここまで遅れたかっていうと入場ゲートから逆茂木辺りの写真はデジカメしか写してなかったので、記事作りをPCのほうで進めていましたが、おんじのブログの作成は、ほとんど仕事の合間の暇な時間を利用して書いてますからね~おうちの作業は中々厳しくて、結局途中まで書いた記事も写真もスマホに飛ばして、只今書いております。

ここからの写真はデジカメとiPhoneで交互に写してますから、暇見て更新します。

只、おんじは、今迄のどっか行きました~の記事とは違いここ吉野ヶ里弥生時代を語るにメチャ意味合いが在るので、コマの進め方がかなり遅い感じがして来ました!

おんじの記事にしたらこんだけ書いたら終わりなんだけど、まだ入口付近の紹介という事で正面から物見櫓らしき建物が見えて来たところで…To be continued

(入口でおわっちゃてメンゴ!)